阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉しんのこレポート

神戸からのメッセージ
〜叶わなかった取材の約束〜

◉ 2013年3月11日

text by 白井信光

初出『震災が残したもの 14』

2014.1.22  up
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『震災が残したもの 14』
『震災が残したもの 14』(A-yan Tokyo発行、2013年)

【編集註】インタビュー集『震災が残したもの 14』(A-yan Tokyo発行)巻末の「おわりに」より、新たにタイトルを付けての寄稿。当初、2011年出版に向け取材を進めていたが、編集途中で東日本大震災が発生し中断。東日本大震災のレポートも加え2013年に発行したもの。

おわりに

最初に、発刊が当初の予定より大幅に遅れたことをお詫びしなければならない。

2011年、春。編集作業も大詰めという時、東日本大震災が起こり、私たちの生活も一転した。それぞれが、東北を思いながら、予定通りに編集を進められないジレンマに陥っていた。今号は状況を鑑み、阪神・淡路大震災、中越・中越沖地震の被災体験に加え、東日本大震災での被災体験についても伝えることに決めた。

私たちが、被災地に足を運び続けて考えたことは、震災を、被災した方々を「忘れてはいない」というメッセージを出し続けること。たくさんの尊い命を失った震災から、私たちは何を学んだのだろうか。いま生きている私たちができることは何なのだろうか。

今号の出版にあたって、話を聞いた方は12人。神戸を訪ねたものの、話を聞けなかった方がひとりだけいる。

その人とは、高田さん。長田で削り節の卸店を営む商売人であり、『震災が残したもの』では幾度も話を伺っている。

私が丸豊商店に足を運んだのは、2010年12月9日の昼下がり。ガラス戸には鍵が掛かっており、店を覗きこんだものの誰の気配も感じられない。配達だろうから出直そうとした矢先、同行の仲間が店舗横の車に人影があることに気付いた。促されてふと視線をやると、運転席に座っていたのは、高田さんその人であった。ハンドルを握りながらじっと前を見つめている。私たちに気付き驚いた様子だが、こちらに向ける眼差しに私は懐かしさを覚えた。しかし、反射するフロントガラス越しの姿は何かが違う。車から降りた高田さんを見て、驚かなければならなかったのは、今度は私のほうだった。

違和感の正体がわかるまで、時間は必要なかった。恰幅の良かった姿は見る影もなく、すっかりとやせ細っていた。

「明日から入院なんや」と高田さんが言った。

それほど多くの言葉を交わしたわけではない。体重が半分になってしまったこと、バイクで配達できなくなってしまったこと、とした言葉で近況を教えてくれた。「元気なんや」というものの、立ち話さえつらそうに感じられた。

別れ際、「退院したら話を聞きに来てくれ」と高田さんは私に向かって言った。

取材の約束をした後、ゆっくりと高田さんは自宅に入られた。小さくなった後ろ姿を見送ったまま私は言葉を失った。

鍵の掛かったガラス戸に、へばりつくように顔を近づけて店を覗き込む。以前、高田さんに見せてもらった自慢の削り節の器械は、何も変わらない。私の目の前で、名前通りの太い腕で削って見せてくれた高田さんの姿が浮かんできて、私はその場を離れることができなくなった。

ガラス戸の隙間から、ふわっとしたやさしい削り節の香りが呆然と立ち尽くしている私を包んだ。

長田での取材を終え、私は東京に戻った。しばらくして、知人づてに高田さんの訃報を聞いた。入院の前日、動かない車の中でハンドルを握っていた高田さんは、何を思っていたのだろうか。大震災を生き延び、焼け野原となった長田で商売を再開したバイタリティ。そのような方も鬼籍に入ってしまった。

あの日の約束は宙ぶらりんとなり、私は沈んだ。

東日本大震災のダメージは大きい。多くの人が疲弊したなかで、自分の再出発を信じきれぬまま過ごしているのではないかと思う。そのような今こそ、震災の体験に耳を傾ける時ではないだろうか。

私たちは、18年間にわたって被災地を訪れ、話を聞き続けてきた。語るという行為は、決して生やさしいことではない。壮絶な体験やさまざまな思いを言葉に紡いでくれた方々に想いを馳せながら、その体験や思いを語り継いでいきたい。いや、語り継がなければならない。それが話を聞かせていただいた私たちA-yan Tokyoの責務なのだろう。

「わしは、震災を忘れないような方法を考えてほしい」

この言葉は、前号の取材時、東京へのメッセージを尋ねた時の高田さんの答えである。

[了]

◉初出誌
『震災が残したもの 14』(A-yan Tokyo、2013年)
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉リンク
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Text  白井信光

▷A-yan Tokyo副代表、『震災が残したもの』編集長。阪神・淡路大震災でボランティア活動に参加。

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