阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

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青池憲司監督インタビュー

Interview : Part 3

住民と行政のすれ違い

都市基盤復興計画に関する住民との意見交換会(宮城県石巻市・門脇 2011年7月20日)
市と住民との復興計画に関する意見交換会。(宮城県石巻市 2011年7月20日) [拡大]

——石巻、門脇に入って1ヶ月になりますが、この地方や地域の人々の考え方や気質などで、何か特徴的なことを感じたりしたことはありますか?

そこまで全国のことを知っているわけではないから比較はできないし、比較しても意味はないと思う。ただ僕は、行政と住民との意見交換会で、自分のまちを今後どうしていくか等を撮影しているけど、やっぱりみなさんよく話すと思うよね。だから心の中で思っていてもなかなか言葉にできない、しゃべりべたの東北人みたいなステレオタイプなイメージは、元々僕はそんな風には思っていないが、石巻にいる限り全くそんな風には思っていない。やっぱり石巻人は石巻人なりにっていうか、きちっと生活者として話しているよね。自分の言いたいことも言っているし。

——行政と住民との復興まちづくり意見交換会の様子を、これまで各町内会別に4回にわたって撮影していますが、各回とも雰囲気は似たような感じでしたか?

いや、やっぱり同じ門脇でも幾つかの地区・丁に分かれているけど、プランの受け止め方や反応はそれぞれ違うよね。

でも共通項いっぱいあるわけで、自分の仕事がどうなるかってことですよね。くらし、生活がどうなるか。もちろんそれと同じように自分の住まいはどうなるのか。全く住まいがないでしょう、あそこは。ほとんどの人が津波で家を流されてしまってるわけだから。まずそこが住民の一番の関心で問題になるところなんだけれども。そういう小さな自分たちの身の回りの生活から、発想、復興を考えていこうという住民さんと、どうしても「地区」という大きなくくりで考えざるを得ない行政と、どうしてもすれ違いは出てくるよね。

そのすれ違いも、行政側のプランがきちんと立てられていれば、その違いを巡って議論を重ねてだんだん歩み寄りや修正がされていくけれども。残念ながら今回の意見交換会は、市のプランがあまりにも大雑把で、あと交換会の周知の仕方をめぐってもかなりずざんだった。まず住民さんからはそうした手続き論を巡って行政に「何をやってんだ」と。だからなかなか本題に入っていかないという。だから本題に入る以前の様子だった。

*)意見交換会
▶「都市基盤復興計画に関する住民との意見交換会」石巻市復興対策室、石巻市建設部(2011年7月14日〜24日)。主に津波で被災し「建築制限区域」が設定された町会を対象に初めて催された、復興まちづくりに関する行政と住民との話し合いの場。内容は、国や県の予算や復興指針、津波防災の科学的な提言が未確定だったため石巻市の「震災復興基本計画案」もまだ策定中で、具体案ではなくイメージ説明にとどまった。地区住民の避難先を行政も把握しきれてなく周知期間や手法が不十分だった事もあり、住民の集まりは少なかった。

ベテランの行政職員たちからの後押し

仮設住宅に入居した門脇町の町会長さんに話を聞く。(宮城県石巻市・門脇 2011年7月21日)
仮設住宅に入居した門脇町の方に話を聞く。(宮城県石巻市・蛇田地区 2011年7月21日) [拡大]

——現在、門脇界隈の住民の方やほかの地区に避難された元住民の方など、いろいろ方にインタビューをされていますが、そうした方々をどのようにして探したのですか?

今、2通り(の探し方)でやっている。一つは、津波にあった門脇小学校の前の門脇・南浜地区に張り込んで(撮影をして)いてね、そこに来た人に「地元の方ですか?」とか訊いて、地元の方だったら積極的にインタビューをしていくという。もう一つは、市の地域振興課という地域を束ねているところの職員から聞いて、その人(地域の町内会長さん)たちを紹介してもらってインタビューをしている。

そういう意味では、最初のほうに市長に会ったり、市の復興対策室や教育委員会の中堅どころの人たちが最初に後押ししてくれたということが、今でも効いているいるんだよね。いきなりそういうのがなくて地域振興課に行って、「これこれこうだから紹介してくれ」って言っても、たぶんありきたりにプライバシーの問題があるなどと断られたかもしれない。

行政の中にはある意味では、この映画は市で応援していくんだ、という風なことが浸透しているんだと思うよね。それはたぶん市長の意向がということではなくて、僕はそういうベテラン職員たちの気持ちだと思うんです。

だから例えば教育委員会のベテラン、中堅から、ほとんど同僚くらいの年齢だからね。そういう所に話が行って、じゃあそういうことだったらと課を越えて(行政マン同士で映画撮影へ協力の話をつけてくれた)。それが大きいね。

——そういう流れもあって、町内会長さんなどを紹介してもらえたのですね。

たぶんそれは市は市としてね、この人に話を聞いておけば無難に済むだろうということは当然あって、無難に済みそうにない人はおそらく紹介していないだろうと思うけれども(苦笑)。まあそういう人はこっちで探して、いろいろと興味深い話を聞いていくことになると思う。

ただ今のところ直接、門脇小の子どもの保護者には到りついていないからね。だからまだそういう意味では、まだ周縁部を回っているわけなんですよ。まだなかなか中に入っていけないという。それは夏休み(中の撮影隊)の一種の課題、宿題だと思うんだけれどもね。

——それが白紙の状態から石巻に入っての1ヵ月の状態だと。

かなり認知されてはきているとは思うんだよ。全市的に、とはあえて言わないけれど。門脇・南浜の門脇小校区と学校、その周辺ではね。

まだ構成は未定、頭の中は撮影モード

——ドキュメンタリー映画というのはあらかじめシナリオが無いわけですが、このように撮影を進める中で、頭の中で自然と構成が組まれて、こういう部分の取材が足りないな、などと思う感じなのでしょうか。

それは秋の半ばくらいから、自然にそうなっていくんだと思うよね。

——撮影を終えた宿舎で、撮影済みの映像をチェックしていました。映像を見ている時は、ここの部分は使おうだとかここが足りないだとか考えているのですか?

いや、まだまだそんな段階じゃない。それはやっぱり編集室に入らないとそういう気分にはならないよね。見ているのは技術的なことを考えながらね。例えばフィルムではないけれどもテープに傷や乱れがないかとか、いろいろな場面を撮っているけれど僕のイメージと一之瀬キャメラマンのイメージは違うなとか。

それと僕の監督という立場のほうから言えば、「ああそうか、この人にこういう話を聞いたら、次は違う展開で違う人にはこういう話を聞いてみようか」とかです。(頭の考え方が)撮影モードと編集モードとは(観点が)違うということ。

今回はもう村本(さん=編集)にね、僕がここ(宮城)にいて村本が(東京で)つないでと。もちろん狙いみたいな構成案は僕が作るわけだけれど、それに基づいてつないでいって、大体まとまった所でまた観てという。だから僕がずっと編集室に一緒にいてやってというなのは、今回はないだろうね。

地域を徹底して掘っていく

——阪神・淡路大震災、東日本大震災と撮影に入ってます。この2つの被災地に入りここは似通っているな、あるいは違うなと感じた部分はありますか?

もちろんそう考えればいろいろあるけれど、あまり僕はそういうことは興味・関心がない。つまり全く違う東日本大震災という災害を阪神・淡路大震災と比べてもしょうがない。それは明らかに質・量共に違う、あまりにも膨大な災害であるし。こっちはもう、ほとんど瞳孔が開きっぱなしみたいな感じだしね、瞬き一つできないような。阪神・淡路大震災の時も実はそうだったんだけれどね。

震災の規模は違うしいろいろ違うけれども、僕自身が映画を撮って記録していくということで言えば、やはり「あるエリアを設定してそこを徹底して掘っていく」というのは、阪神・淡路大震災の時も今回も同じような手法だよね。今回は門脇と南浜以外は出ないつもりだけれども。

石巻市北上町十三浜にある相川小学校。津波は屋上を超えた。<br />(宮城県石巻市・石巻市立相川小学校 2011年4月17日) Photo:青池憲司
北上町十三浜地区にある相川小学校。津波は校舎の屋上を超えた。
(宮城県石巻市・石巻市立相川小学校 2011年4月17日) Photo:青池憲司 [拡大]

「学校」はちょっと撮っておきたいというのはある。2市1町[*]の災害に遭って使えなくなった学校は、いずれたぶん解体されてしまうから、それは撮っておきたい。そういう意味では(門脇と南浜の)外に出て行ってはいるんだけれど。

*)2市1町
▶宮城県石巻地方:東松島市、石巻市、牡鹿郡女川町。今作の撮影対象地域。

——大きく報道された大川小学校[*]とかもありますしね。

大川小学校は、あまり触れたくないというのがある。それはマスコミが大々的に報道している所は、我々は行かなくてもいいだろうという意味で。ただ2市1町(の被災校舎)を全部撮るということで言えば、撮っておきたいということはあるから、撮らなければいけない訳だけれども。今(がれき撤去も進み)きれいさっぱりになってしまっているから、きれいさっぱりさ(の姿を記録しておく事)もいいかなと思うのだけれども。

基本的には『野田北部〜』が野田北部・鷹取の一地域にこだわったように、門脇小、門脇・南浜を(徹底して掘り下げて記録して)ね。

ただある人に言われたんだけれど、「コミュニティも何も、まちが無くなってしまったのに、何を撮れるんだ」[*]と(苦笑)。これはなかなか厳しい意見なんだけれども。『野田北部〜』は(全焼・全壊の地区だが)まだまちの形はあったし住民さんはいたし、あそこで復興しようという(状況はあった)。

*)石巻市立大川小学校(おおかわしょうがっこう)
▶石巻市釜谷山根。津波で被災し、74人の児童が死亡・行方不明になった。飯野川第一小で間借り授業を行う。

*)まちの復興
▶門脇・南浜地区は、今後の復興計画によっては地区全体の高台移転等の可能性もある。

——コミュニティがなくなったというような話は、住民意見交換会の場でも、住民へのインタビューの中でも出ていましたね。住民の方々がバラバラに避難していて、それぞれ今現在どこで生活を送っているのか、行政も住民自身もまだ完全には把握していないと。話し合いどころか連絡も取れないと。

だからコミュニティの「コ」の字も難しいし、まちづくりの「ま」の字も難しいし。どうなるのかね。子ども、学校、地域というテーマを掲げたのはいいけれども、地域をどう撮るのかというのは、なかなか難しい。

《了》


2011年7月22日 宮城県大郷町・青池組宿舎にて
聞き手・構成/kin(震災発)

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。