◉震災発レポート
津波に襲われた"墓地"
大量のがれきが流れ込んだ
〜東日本大震災の光景〜
宮城県亘理郡亘理町 ◉ 2011年4月12〜15日
曹洞宗 補陀山 海蔵禅寺
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
text & photos by kin
2011.8.22 up
津波襲われた墓地
宮城県亘理町の「補陀山 海蔵禅寺」は、鳴き砂で知られた吉田浜海岸のある吉田浜集落の外れにある。海から流れてきた津波は黒い濁流となり、家屋を巻き込みながら内陸部へと流れていった。海蔵禅寺は海岸から800mほど離れた集落の外れに位置したためか、津波の勢いも削がれかろうじて本堂の形は残した。しかしその裏に広がっていた墓地には、たくさんのがれきが流入した。
墓石はことごとく倒された。車やトラクターなどの車両や家屋の2階部分などの巨大なものや、丸太などの流木が流れ込んでいる。倒壊した家屋から流出した家庭用品も散らばっていた。
墓地の復興へ
こうして墓地に流れ込んだがれきは、重機も入れないために一つ一つ人の手で運ぶしかない。墓石は横倒しになり、骨壺も割れお骨も晒されていた。護持会(檀家)の有志の方と近隣のお寺の方、そして他県から来たボランティアの手により、少しずつ墓地のがれき撤去の作業を始めた。
墓石はつるつるに磨き上げられており、とても滑りやすい。そんな倒れた墓石の上を気をつけながら乗り越えていき、手で抱えられる範囲でわずかながらもがれきを搬出していく。そんな1日かけても成果が見えないような作業を繰り返していった。
この後、5月になり墓周囲の小さながれきの除去が終わると、護持会有志の方によって引き続き作業は続けられていった。一つ一つの墓の持ち主に連絡を取り、乱れた墓地の区画を確認しながら、一つ一つのお墓の石を修正。普通の墓石作業用の小型重機が入れないため、巨大なクレーン車を用いて作業を行ったという。そして6月初旬には、お墓参りのできる状態にまで復興させた。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。